

青森県三戸郡新郷村にはロマン溢れるキリスト伝説が受け継がれています。なんと新郷村にはキリストと、キリストの身代わりになった弟の墓があるというのです!
正直この話を最初聞いたときは( Д )~゜~゜←こんな感じで耳を疑いましたw しかしウソか本当かはともかく面白いネタである事は確かなので色々調べて実際行ってみました
「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡っていた」そんな有り得ない仮説が、茨城県磯原町(現北茨城市)にある新興宗教である皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる『竹内古文書』に書かれていたという。その『竹内古文書』に記された「キリストは日本で死んだ」という記述に基づき、皇祖皇太神宮の竹内巨麿(たけうちきよまろ)はキリストの墓を探し回っていた
1935年(昭和10年)8月に青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来)を訪ねていた竹内巨麿は、2つの盛り土を見て、それが「イエス・キリストの墓」だと口走ったらしい( ゚ェ゚)・;'.、オゴフッ
そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話した。竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという
古文書によれば、ユダヤに生まれたイエス・キリストは、21歳の時に日本に来て、12年間にわたって今の富山県で言葉や文字・神学を習い、さまざまな修行を重ねたという。聖書では21歳から12年間のイエスの記述はまったく無いので、この辺は合致する。33歳の時にユダヤの地に帰ったイエスは、聖書に記述されているように数々の教えを人々に説き始める。しかし、彼の言動はユダヤ教パリサイ派の反感を買い、ローマに反逆を企てる者として磔の刑に処せられる。が、磔に処せられたのは実はイエスではなく、彼の弟イスキリだった!イエス自身は、再び「神の国」をめざす。中央アジアからシベリア、さらにはアラスカを経由し、4年後、船で八戸に上陸、戸来村にやってくる。イエスは「十来(とうらい)太郎大天空」と名を改め、同村沢口の丘の上に居を定めた。そしてミユ子という女性と結婚、三女をもうける。とくに布教に努めることはなかったが、自ら畑を耕し、作物を作っては貧しい人々に分けてやったという。白髪の禿頭、鼻の高い赤ら顔で長いマントを着て歩く彼の姿を見て、村人は「天狗様」として畏敬したという。こうして彼は106歳の天寿を全うし、その遺体は風葬にされ、骨は4年後に住んでいた家の跡に埋められた。それが「十来塚」であり、そのとき、彼が携えていた弟イスキリの耳と母マリアの頭髪も葬られた。それが「十代塚」である
この地がキリストゆかりの地であるという根拠は他にもあるのだという。その根拠とは、@この地域の字「戸来(へらい)」という地名は「ヘブライ」が転訛したもの。Aユダヤの紋章(五芒星)と同じ柄を代々家紋とする家があるB子供が生まれて初めて戸外に出すときに、額に十字を墨書するC足にしびれが切れたとき、人差し指につばを付けて額に十字を3回えがくD父親を「アヤ」、母親を「アパ」と呼ぶのは、「アダム」「イブ」がなまったものであるE盆踊りの謎の文句「ナキャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は古代ヘブライ語で「お前の聖名をほめ讚えん、お前に毛人を掃蕩して、お前の聖名をほめ讚えん」と訳せるのだという
ここまで読んでもらってなんですが、全くの奇説であり、ほとんどの日本人はおろか外国では全く認められていないそうですw その根拠としているものも、学術的な論拠になっていません
戦後GHQは、竹内巨麿氏に対し誇大妄想気味の人物というレッテルを貼りますが、「神々の故郷はプレアデス星団」「飛騨の立山に降下した円盤」など、確かに奇妙奇天烈な説を勇敢にも訴え続けていたそうです( ゚ェ゚)・;'.、オゴフッ
ちなみにキリストの里伝承館という資料館もあります。ここでは当時の原著や報道も展示されていますので、ぜひ立ち寄ってみましょう!
■キリストの里伝承館