
青森県の東部、上十三地方の東北町に「日本中央の碑」という怪しい物があるらしい…そんな噂を聞きつけ「これは行くしかあるまい!」と即断し行ってきましたソなにしろ日本中央ァさすが我が青森県ゥ面白スポットの宝庫ですな(゚Д゚)y─┛~~
青森方面から車で国道4号を八戸方面へ、野辺地を過ぎて県道8号を走って行くこと15分くらいで「日本中央の碑発見地」の目印が右側に見えてきました
未舗装ですが広い駐車場に車を止め、その駐車場の真ん中辺りにある入口?から階段というか多少整備された山道を降りていきます。女性はハイヒールなどは履いて行かないほうがいいでしょうw
ひとまず階段が途切れたところに、日本中央の碑の説明板と休憩の為のベンチがあります。つかココでわざわざ休憩する人はいないと思うんですが( ・ω・)
さらに階段がありますので降りて行くと、おおィなにやら木の棒が見えてきたww 足場の悪いのを気にせずに近づくと日本中央の碑発見の記念碑があります!ここが日本中央かゥそうとは思えないうっそうとした雰囲気の中、とりあえずその場を立ち去り次の目的地であり日本中央の碑があるという「日本中央の碑保存館」へ向かいますリ
来た県道8号を引き返し、再び国道4号へ左折して戻り十和田方面へ。およそ5分くらいで右手に日本中央の碑歴史公園の目印が見えてきました。駐車場に車を止め階段を登り保存館へ

入館は無料なので気軽に入れます。そしてとうとう!目的の日本中央の碑が!結構デカイネその他にもこの保存館には関連資料や報道資料があり、出目や歴史を知ることができます
資料によると、この「日本中央」と刻まれた石碑は1949年(昭和24年)6月21日、先程行った現在の東北町(当時は甲地村)の赤石上流の湿地帯で偶然発見されました。現在は東北町の有形文化財としてされ展示されています
最も古い歌学者顕昭(西暦1130〜1210年頃)の著書『柚中抄』によると、9世紀初頭に大和朝廷による蝦夷征伐が北上し、征夷大将軍である坂上田村麻呂が陸奥の都母村(つも・つぼ…現在の上北地方)の地に大きな石に「日本中央」と彫り建立したとされています。その後「つぼのいしぶみ」として都に知れ渡り源頼朝や西行法師、和泉式部、岩倉具視などに歌を詠まれたらしい
ただし坂上田村麻呂は現在の岩手県の紫波城までしか来ていません。坂上田村麻呂に続いて征夷大将軍となった文室綿麻呂が西暦811年に都母村に進撃しているので、文字を刻んだのは綿麻呂だったのではというのが定説になっています。また、ここで言われている「日本」は「にほん」ではなく、日の本(ひのもと)と読み、当時の蝦夷地であった東北地方を指す言葉であったと思われます。日本という名前を蝦夷の土地に使っていた例もあり、蝦夷の土地の中央であるから「日本中央」であるという説もある。津軽の安藤氏も日之本将軍を自称し、しかもそれが天皇にも認められていた。また、豊臣秀吉の手紙でも奥州を「日本」と表現した例がある
■日本中央の碑保存館