
平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に創造したという伝説や、文禄2年(1593年)7月、初代津軽藩主・為信公により、京都で創始という伝承もありますが、江戸時代元禄期の後半(18世紀初頭以降)、七夕祭りの精霊流しや眠り流しなどから発展してきたというのが定説で、名称も眠り流し→ねむた流し→ねむた→ねぷたと訛りをまじえて変化した説が有力です。暑さの厳しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払うための行事で、様々な災いや邪悪を水に流して村の外に送り出すものといわれています
初期な簡素な角燈籠のようなものだったらしいですが、江戸時代の記録では箱形の灯籠に飾りをつけたり、山車を真似た人物・魚・野菜などの形のものを担ぎ回ったようです
江戸後期には、今の青森ねぶたの様な組ねぷた(人形ねぷた)が登場したようですが、明治の中頃から扇型のねぷたが運行の主体となっています
弘前ねぷたは1日開始、青森ねぶたは2日開始なのには理由があり、弘前は「出陣」で青森は「凱旋」であるためと言われています。青森ねぶたは、大きな人形山車と、その周囲で乱舞するハネトで賑わいます。戦に勝って帰ってくる姿を表した凱旋ねぶたともいわれ、豪華絢爛な祭りです。一方、弘前ねぷたは山車をゆっくりと引き、涼しげな笛の音と、力強い太鼓が響き渡ります。これから戦に向かうという姿を表した出陣ねぷたともいわれ、勇壮華麗な祭りです。なお、「ねぷた」と「ねぶた」は、単純になまりの違いらしいです
青森ねぶたはほぼ全てが会社ごとの製作・運行であるのに対し、弘前をはじめ、津軽のねぷたは基本的に各町・団体で製作し運行します。6月頃から市内の各町内のあちこちにねぷた製作の為のねぷた小屋が立ち始め、7月くらいからは平日の夕方〜夜や休みの日には太鼓・笛などねぷた囃子の練習の音が聞こえてきます。市民が一体となって参加し楽しむ、地域のお祭りなのです